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히타치 강사 설교

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교목실 2010-05-06

新緑の5月は 生命の息吹が 感じられ 韓国では 季節の女王と言われますが
車窓から 眺める景色は とても 美しかったです
穏やかで 静かな平安は やはり 主が 下さるものであり 何にも 換えることが 出来ないものだと テジョンから 釜山までの 2時間余りを快い時間を 過ごして来ました 
そして
今 ここで 皆さんの前に立ち 母国語である 日本語で
私の信仰の証をさせて 頂ける事を 本当に 感謝いたします 

今日の本文は 
イエス様が 捕らえられる以前であり 弟子たちと向かい合い たくさんの教えをされた後
17章1節 「イエスはこれらのことを話すと 目を天に向けて 言われた 父よ 時が来ました あなたの子が あなたの栄光を現すために 子に 栄光を与えて下さい」と イエス様の祈りへと 続いていきます
「これらのことを 話すと」
という事は 16章33節は イエス様が捕らえられる以前 お祈りされる前に 弟子たちに向かって仰った 最後の言葉だと考える事が出来るのではないでしょうか?

悩みは 無くなる事はないが 勝利の私がいるではないか 勇気を出しなさいと平安は 私が与えると 仰るイエス様を私の主であると 告白し ここまで 私を お導き下さった主を 賛美いたします


今から 20年以上も 前の話です
1988年6月 ソウルオリンピックの開催を9月に控えた 韓国は 活気に溢れていました
街のあちこちで 工事がされ エネルギッシュであり 強さが感じられました

そんな中 私は 日本で出会った 韓国人の夫と ソウルの小さな教会で 結婚しました
出席者は 夫の家族 親戚 友人と 私の友人であり 式場の教会には 私の家族の姿はありませんでした 赤い絨毯の バージンロードは 花嫁が父に手を引かれ 歩きますが 私は 夫と並んで歩き そして 「韓国では 嬉しい日には 泣かないのですよ」と 言われた事を 覚えています


皆さんも よくご存知のように 韓国と日本の歴史的には良いことは あまりありません
それで
私たちの結婚にも 双方の両親が 強い反対を しました しかし 夫の両親は 私が 教会に通う事を条件に 結婚を 許し 私は 自分の両親の 許しを 得る事が出来ないまま 日本を発つことになりました
搭乗ゲートまで行く 長い通路の公衆電話で 母にかけた最後の電話を 今も 忘れる事が 出来ません 言葉には しませんでしたが もう二度と 日本には 帰れないのだと 母に会う事はないのだと 決心していました

そんな風に たった一人で 日本を離れた私は 結婚し
言葉の全くわからない 未知の国での 新しい暮らしが 始まりました
 
見た目は似ているのに すぐ隣の国であるのにも かかわらず 韓国と日本は あまりにも 違い過ぎました
今は 銀行などでも 番号表がありますが その頃は 横はいりなどは当たり前で 声の大きい人が
用事を先に済ませて行き 順序良く並んでも言葉の出来ない私は 銀行などで1時間待つ事等はしょっちゅうでした
人込みの中で 背中を押されたり 私が不愉快に思うことも 韓国の人には 何でもないことだという事が 一層 

韓国という国を理解することよりも 判断する事になり 日本との比較になり 良し悪しの基準は いつも 日本であるという風でした 韓国の良い部分を見るよりも 否定的であり 批判的でした
そして
そんな人達が 教会へ行って お願いばかりの祈りをしていることに 反発を感じ

結婚の条件であった 教会へ通う事も 言葉がわからないことを理由に 私の足を 教会から 遠のかせました

結婚して3年 長男が 生まれ 少しずつ 韓国の生活にも 慣れては来ましたが
やはり 私にとって 韓国での生活は不満でした にんにくと唐辛子の辛い食べ物は 口に合わず 日本のテレビも雑誌もなく 仕事もなく 友達も いない
自分の持っていた物を すべて失うことになった韓国での暮らしは
私を 否定的にし ない物だけを数え 問題は すべて 他人のせいにする 可愛そうな私になり 不幸な 私を作りました
そんな暮らしが 続いていたある日 
3ヶ月にもならない 長男が 泣き出したのですが どんなに あやしても 何をしても 泣きやまず 私は 気が変になりそうでした
そして 泣きやまないことが 怒りにつながり 私は 子供を 叩きました 何度も 何度も 叩き続け 叩かれた子供は 火がついたように 一層声をあげて泣き 私は どうしてよいのかわからず子供を 投げ捨てました

その時 鏡に映った私は 鬼のようでした
怖かったです もし あの時 自分の姿を 見なければ 私は 自分の子供を 殺めていたかもしれないと思うと 狂気は誰の心の奥深い所にある 罪より 出て来るんだと思わずにはいられません

それから
私は 時々 教会に通うようになりました
こんな自分を 守ってくれるものが 必要だったのです
もし あの日 誰かが一緒にいたら 私は 子供を 叩かなかったし 投げ捨てたりは しなかったという 確信が ありました
こんなに 愚かで 弱い自分を 守り 見続けてくれるものが あれば、、という気持ちでした

その後 引越しをすることになり 今の教会へ 通う事になりましたが
教会での付き合いが 面倒なのと 誰かに声をかけられては いけないので
登録もせずに こっそり それも 自分の気分により行ったり 行かなかったり
私は クリスチャンではなく 只 教会へ行く人でした

ところが ある日私の住んでいるアパートに知らない方が 尋ねて来て「セロナム教会の 牧師先生がお引越ししていらっしゃいました」と
お餅を下さいました
セロナム教会とは 聞いた事のある名前だと思いましたが まさか 自分が 時々行っている教会だとは 思いませんでした
その位 私にとって 教会は 存在感のないものだったのです

でも 自分の通っている教会の 牧師先生が 同じアパートに 住まれるのです
私たちは 慌てて 教会に登録しました
それは 私が 韓国に来て8年が過ぎた頃でした
子供は 二人になり 夫は ソウルへと職場が 変わり 私たちは 週末夫婦になりました
子育てを 一人でするのは 大変でしたが それよりも 私の気持ちを憂鬱にさせたのは 日本の友人達からの 知らせでした
良い職場を得たり 昇進したり それは 嬉しくもありましたが 反面一体私は こんな所で 何をしているのだろうと 思うことになりました
子供が 健康で当たり前 部屋は 片付いていて当たり前 当たり前の事を 当たり前にするのが 主婦の仕事であり そんなに 一生懸命に 頑張っても 認めて貰えることもなく 子供は自分のものではなく 自分の中に積み重ねられて行くものが 何一つないように 思えました
生きる目的も価値も ありませんでした 悲しみもない代わりに喜びもない 単調で退屈な毎日が現実だと 思いました

その頃 金曜日の地域礼拝が 変わることになったと新しいリーダーの方が 私を尋ねていらっしゃいました
韓国語も あまり上手ではないので お断りしようと思いましたが 何故か 断り切れずに 初めての 集まりに 出席する事を お約束し それから 私は 聖書の勉強会を 始める事になったのです
学校が クリスチャンスクールで 水曜日のチャペルと 金曜日の キリスト教概論は 必須科目だったとはいえ 代返を頼んで 授業をさぼり 遊ぶ事に 忙しかった私には どれもこれも聖書は 初めてのことばかり
学校で貰った聖書は 新約と詩篇だけの 薄いものだったので 「日本には 旧約聖書は ありませんよ」などと 全く無知なことを 言った事もあるくらいです
勉強会で 学ぶうちに 色んなことが 知りたくなり リーダーの方に頼んで 良い教材を選んでもらい 自宅で一人 早朝に 聖書の勉強をするようになりました
そんなある日
日本の両親の事が 思い出されました
反対を押し切って 結婚しましたが 私はいつも 自分の気持ちが 一番であり 両親の気持ちを 考えたことが ありませんでした それよりも 韓国人だという 理由で 反対した両親を 批判ばかりしていました 一人で 大きくなったように 思っていました
涙が 止まりませんでした
どれほど 自分が 身勝手で自分本位の人間であるかが わかりました
私の結婚問題で 大きなストレスを受けた母は 病に伏しすでに 亡くなっていましたが
その時まで 私は たったの一度も 自分のせいで 母が 亡くなったと考えた事がありませんでした
精霊様の お働きでしょう
許されることのない罪だと がたがたと 体が 震え涙が 止まりませんでした
その時
十字架のイエス様が 思い浮かびました
自分が 罪人であることを 告白せざる終えませんでした
イエス様が この私の罪のために こんな どうしようもない私の為に 十字架の苦難を受けられたのだと 信じる事が 出来ました
イエス様との 人格的な 出会いだったのです
それからは 私が 変わりました
積極的な 生き方が 見えて来ました 教会のプログラムには 参加し 早朝祈祷会などは 他人事だったのが 小さな子供も一緒に 参加しました そして 夏の聖書の通読は 御言葉に 付箋をはりながら 読み その年毎に 忘れられない御言葉が 与えられました

そして 復活を確信する事になった 初めて行った 教会の方のお葬式
40日 早朝祈祷会の最後の朝 放射線治療で 抜けた頭に 毛糸の帽子をかぶり 感謝の祈りをされた その方と支え続けたその方の家族を 私は 忘れる事が出来ません

それまでは どんな人の人生も 最後は「死」であり お墓でした 辛く苦しい人生も 豊かで一生懸命な 人生も 「ゆっくり休んでください」 「ご苦労様』で閉じられる物でした
死んだら全てが 終わりだという思い 別れの悲しみや喪失感 そして 死んだらどうなるの?と言う 恐れ でも クリスチャンのお葬式は 違いました
「また 会いましょう 神様の所で」「待っていてね 神様の所で」
死ぬ事が 終りでなく 新しい世界の入り口でしかないのだという 永遠の命を 信じる事が出来たのです 別れる事は 辛い事ですが クリスチャンには 神様の所での「再会」という 希望がある事を その時私は 確信出来たのです
これほど穏やかな お葬式を 初めて経験したのです

そして 私の信仰の証に
決して忘れることの出来ない 弟子訓練は 私に 生きている信仰とは どんな物であるかを 教えてくれました

知らない事を 知る事は とても 大きな喜びでした 中でも 祈りとQTの深さを知る事により
一層 主に喜ばれる生き方をしたいと思うようになりました しかし 訓練をすればするほど 自分が 弟子と呼ぶには あまりにも ほど遠い存在だと思いました その事は 私の心を重くしました
2千年前に 弟子たちと 共にいらした 主が 突然 私に訊かれるのです
「本当に 私のように 生きたいのですか?」と 
尊敬されることもなく 愛される事もなく 名誉も野望も捨てて無視されたのに
「そんな風に 生きられるのですか?」と、、

まだまだ 自己中心的な生き方を望み 主が いらっしゃるだけで 十分ですとは言えない
弱く愚かな自分自身を 見ないわけには いきませんでした
こんな私が いつか主の前に立つとき 何をしてきたのか?と言われたら 私は 何も答える事が出来ないだろうと思いました
自分が どれほど高慢で汚い人間であるかを 思い知ることになりました
そして 気付かないうちに
主よ どうぞお許し下さい そして 私を 哀れんで下さいと 祈っていました

「ありのままの あなたを愛しておられるけれど あなたをずっと そのままにしては おかれない
神は あなたが イエスのようになって欲しいと 願っておられるのだよ」
マックス・ルケード牧師の著書 「イエスのように」の帯に書かれた言葉が 思い出されました
どれほど 深い愛でしょうか?
どれほど 長く待つ愛でしょうか?
いつも イエス様は 私を 待って下さっていました 私を 信じて 待っていて下さるのだと思うと 私は 喜びで一杯になりました
イエス様を 信じる事は 喜びに 愛に 繋がっているのだと 確信する事が出来ました
葛藤から 抜け出した後の 弟子訓練は 私にとって どれほど 今 私は 高等部の日曜学校の先生をしながら 高校生の弟子訓練を 指導しています
そして この 1月から セロナム国際教会の日本語礼拝の幹事として 動いています
幸せな時間であったか わかりません 今までの人生の中で 一番輝いた時間であり大切な時間であり 神様にだけ 集中出来た時間だったと思います

その 訓練を終える頃 私たちは 卒業旅行と称して 海へ行きました
何人かの友人と海辺を歩きながら 気付いた事が ありました
海の中の沢山の丸くなった石は 長い間 波に洗われ 互いにぶつかり 丸くなったのだということです
駐車場のアスファルトに置かれた 一個の石は 変わることなく ずっとそのままの姿ではないでしょうか?

今日の本文で世にあって 悩みがあると 主は仰います 生きている限り 悩みが無くなる事はないのです 悩みを無くす事よりも その悩みと 勇敢に 戦いなさい 勇気を出しなさいと 主は ご命令されるのです すでに 世に勝っている私がついているのだからと

私たちは 苦しい事や辛い事があるとそこから 逃げ出したくなります しかし 勇敢に 問題に立ち向かいそれを解決した時 私たちは 自信に溢れた生き方をすることが 出来るのです
勇敢である為には 絶対的な大きな存在が 傍にいてくれる 自分を見守っていてくれるという 安心感が 必要ですその安心を 私たちは 主から頂いているのです

海を渡って結婚した私を時々 勇敢だと 仰って下さる方がいらっしゃいますが
それは 間違いです わたしは 勇敢だったのではなく 無謀だったのです

しかし 韓国語も ままならない私が 弟子訓練を受けた事は 無謀ではなく 勇敢だったと 思います
それを 乗り越えた時 私は 自信を持つ事が 出来るようになったからです

無謀は 自分の力を信じ 後先も考えずに 乱暴に物事を行うことであり 恐れを持ちながら行動することですが
勇敢は 神の力を信じ 守られている事で恐れを 神に預けて行動する事だと思います

子供の頃に 自転車に乗る 練習をなさった事を 覚えていらっしゃいますか?
「大丈夫 しっかり 持っているから」と言われ 恐る恐るペダルを踏み出した事
その ペダルを踏み出すと言う事が 勇敢なのではないでしょうか?
後ろを持っていてくれると 振り返ったら 誰もいなくて それに驚いて 転んだ事はありませんでしたか?
その時 大丈夫?と 差し延ばされた手は 主の手だとは 思われませんでしょうか?

たった一回で 転ぶ事もなしに 自転車に乗れるようになった訳では ありません
後ろで 支えていてくれる 転んでも 大丈夫だという安心により 私たちは 自転車に乗るという 技術を 習得できたのでは ないでしょうか?

ない物ばかりを 数えていた私が なければ 探せばいい 探してもなければ 作ればいいと考えを変えていく事になりました
辛い韓国料理が 食べられなかったお陰で 私は お料理が 上手になりました
美味しいケーキが 売っていなかったので 私は ケーキも 焼けるようになりました
それは 新しい物に 勇敢に 挑むことが 出来たからです 
そして その どれもが初めから 上手に出来た訳では ないのです

悩みは 決して 悪い物ではありません
それを 不満としているか それから 脱出するための 勇気とするかで 生き方が 変わってくるのです
多くの人は穏やかで 何事もない人生を望みますが それでは 悩みを乗り越えたという 自信に溢れる生き方は 出来なくなるのです

悩みが ないから 平安なのでは ありません
悩みが あっても 恐れを 主に預け 勇敢になる事が出来るから 平安なのです
そして 世に勝たれた主が 見守って下さっているのです
どうか クリスチャンの 勇敢で 平安な 姿を 毎日の暮らしの中で 現して下さい
職場で 学校で 家庭で
とてつもなく 大きなことではなくとも 主が共にいて下さるから こんなに素晴らしい暮らしが出来るのだと ノンクリスチャンの方々に 知らせて下さい

最近 新しい事業を始めようとしている方と お話する機会が 多くあり
何時も 「大丈夫ですよ きっと 旨く行きますよ」と 励まして差し上げるのですが
その方が 「実は 夫の会社も 危ないので 来月のお給料も 出ないかもしれないし、、こんなに笑っていられる状態じゃないんですけど」と 仰いながら「有希子さんといると 何だか 出来るような気持ちになるんですよ 根拠のない自信ですよね?」とお笑いになられます
そんな時
「いいえ 根拠はありますよ 私には 神様が ついてますから」と お答えする事にしています
そうすると
「あら 私 伝道されてるんですか?」と お笑いになられます

主と共に生きる事が どれほど美しい毎日になるのか
悩みがあっても 平安な暮らしが出来るのだと言う事を 知る時 ノンクリスチャン達もきっと
教会へ 行って見ようかと 思うようになるのではないでしょうか?

私の 長い証を聴いて下さり ありがとうございました
もう一度 ヨハネの福音書16章33節を読んで 終わりたいと思います

これらのことを あなた方に話したのは あなたがたが 平安を持つためである世にあっては 悩みがある 勇気を出しなさい わたしは すでに世に勝っている